2016年御翼8月号その1

                                          

三人の石切り職人

  

  著名な眼科医ウィリアム・ハーヴェンダー医博は、卒業間近の医学生らに、このように述べた。「私が若かったころ、誰も神のことを知る者はいない、という結論から、自分は無神論者であった。しかし、今は、私にとって神の存在は明らである。患者たちで神を知っている者は、神を信じない者よりもずっと幸福であり、その違いは歴然としている。それでは、医者は神が存在するという事実をどのように取り入れるべきであろうか。それを、石切り職人に譬えてお話しよう。
 教会の建設地で働く三人の石切り職人が、その人生観から自分の職業を異なって捉えている。一人の職人は、その仕事を、石を運ぶ職業、と考える。二人目は、石材の壁を造ることが仕事だと言い、三人目は、自分の職業は、神のご栄光のために大聖堂を造ることだ、と考えている。
 医者として、君たちも同じような態度を取ることができる。医者の仕事を、石材を運ぶようなものだと思うならば、患者はただ不平をもらす病弱者、貧乏な病人、病気のならず者、弱った細胞質となる。そのような態度で臨むと、君たちはやがてアルコールや薬物に慰めを求めることになるだろう。  二人目の態度をとる医者は、完成することのない壁を延々と造ることがその仕事と捉えることになる。疲れ果てた体に、結局は無駄になるつぎあてをするだけなのだ。最後には、体はつぎあてなど出来なくなることを知っているので、全ての努力は無意味なものとなる。そのような態度で臨むなら、医者という職業から根本的には逃れたい、と思うようになる。
 しかし、君たちが私と同じように神の存在を信じ、人は神によって造られた特別な創造物だと確信するならば、患者がどれだけか弱く傷ついていても、小さな聖堂(宮)として接することになる。神のご栄光のために築き上げることができる一人の人間として。私は患者一人一人を特別な人、神の子として見ることが出来る。そして、彼らには、私が成すことができる最高の技と細心の注意が与えられるべきなのだ。私の仕事はとても重要なものであり、患者たちにとても感謝される。感謝に溢れた患者と接していれば、医者は幸福になれるものなのだ。医師たちよ、神の存在を信じていなくても、神がいるものとして生活しなさい。愛なる神がおられ、患者への配慮をされる神があなたをも愛され、配慮されるのだということを前提として生活し、医者としての職務を行いなさい。そのような態度でいれば、いつの日か白髪が増え、しわのある医者となっても、あなたがたは依然として目に輝きがあり、愛に満ちた人生を送っていることであろう!」

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